かつて岡崎には海軍の航空基地がありました。
ここでは基地の概要、遺構の場所についてまとめてます
探索時の状況は別記事で↓
【まとめ】岡崎航空基地の遺構 ←今ここ
・岡崎航空基地 その1 (2020-06)
・岡崎航空基地 その2 (2020-0)
・岡崎航空基地 その3 (2020-0)
・岡崎航空基地 その4 (2020-09)
遺構の位置はよ!
1:岡崎航空基地の概要
=所属部隊=
- 河和海軍航空隊岡崎分遣隊→第一岡崎海軍航空隊
- 第二岡崎海軍航空隊
- 名古屋海軍航空隊岡崎分遣隊→第三岡崎海軍航空隊
=配備されていた機体=
- 九三式中間練習機
その1:整備計画
岡崎航空基地は海軍の飛行場として建設され、地元では「桝塚飛行場」と呼ばれていたそうです。
南西には同時期に計画・建設された明治航空基地がありました。
1942年5月の珊瑚海海戦、同年6月のミッドウェイ海戦での敗北を受け、海軍軍令部では航空兵力を立て直すことが急務となります。
1942年6月30日には軍令部機密第一九一号「昭和十七年度戦時航空兵力増勢及艦船建造補充ニ関スル件商議」通称「改マル5計画」が策定されます。
計画書の表では「明治」「岡崎」「名古屋」の3つが確認できます。
戦史叢書 第088巻 254ページ 別表第二ノ一 外戦基地兵力
※左下の高精細画像紹介から
付表第一:その一「昭和十七年度戦時航空兵力増勢及艦船建造補充二関スル件商議」
で高解像版が見れます(クッソ重いので注意)
その2:基地の運用
岡崎基地では甲種飛行予科練習生、通称「予科練」として採用された者が甲種整備練習生として教育を受けていました。要は整備学校みたいなものですね。
滑走路は1500m-100mが1本のみと、明治基地に比べるとかなり小規模。これは整備教育用としての性格が影響しているものと思われます。
- 明治航空基地:操縦の訓練がメイン
- 岡崎航空基地:整備の訓練がメイン
当時の写真を見ると格納庫などの建屋が多く確認できます。
岡崎基地には「第二航空廠 鈴鹿支廠 岡崎補給工場」があり、中島の半田工場で製造した機体に機銃などの艤装を施すための設備がありました。
最終的に航空隊は3つに拡充されましたが、滑走路が1つだけというのはかなり不便だったのではないでしょうか。
矢作川の向こうには不時着用の岩津飛行場がありました。
2:現存する遺構
【現存確認:2020-06~2020-09】
遺構は各地に点在しています。
探索を重ねるごとに発見があるので継続調査中です。
=遺構一覧=
- 格納庫
- 側溝用コンクリ蓋
- 監視哨
- 開拓碑
- 予科練の碑
- 案内板
3:岩津飛行場
=遺構一覧=
- 無蓋掩体壕
岡崎基地の不時着用滑走路らしいです
1945年の時点では掩体壕と地下施設の整備計画がありました。
遺構がほんの少しだけ残っています
・滑走路
滑走路のサイズは600m-50mと小規模で、跡地には大豆製品で有名なマルサンの工場と田んぼが広がっています
・掩体壕
無蓋掩体壕が残っています
岩津飛行場はこちらのブログで詳しく解説されています。
【まとめ】岡崎航空基地の遺構 ←今ここ
・岡崎航空基地 その1 (2020-06)
・岡崎航空基地 その2 (2020-0)
・岡崎航空基地 その3 (2020-0)
・岡崎航空基地 その4 (2020-09)
引用元など
1:WEBサイトほか
=公式HP=
国土交通省:国土地理院 空中写真閲覧サービス
防衛省:戦史史料・戦史叢書検索
=ブログ=
underzero 様(2008年)
裕実総軍 戦争遺跡データベース 様(2015年)
-廃虚日常記録帳- 様 (2014年)
BEAMing to the World de JF2SKV/NH0S Weblog (2006年)
空港探索 様(解説)
JA2TKO & B29 様(解説)
2:参考文献
図録:安城市歴史博物館「戦争のなかに生きる」
朝雲新聞社:戦史叢書 第088巻