【訪問日】
・2020-10-11
・2020-10-12
愛知県東海市の太佐山には高射砲陣地がありました。
名古屋を守るためここ以外にも約20の陣地があったそうです。
この記事では遺構の状態についてまとめてます
訪問時の様子は別記事で↓
・太佐山陣地まとめ ←今ここ
・東海散策 2020-10-11
・笠寺陣地
1:太佐山高射砲陣地について
=配置されていた兵器=
・九九式八糎高射砲 6門
・自動同期装置
太佐山は他の高射砲陣地と決定的な違いがありました。
台座の装置には「6門すべて」を同期させる機能があり、すべての砲座を同じ方向に向けることができたそうです。各砲台をつなぐための地下配線の遺構も発掘されました。
設営初期は木製砲床で、後にコンクリ製の砲床に置き換えられたそうです。
また太佐山は西側にあった平山高射砲陣地とあわせて「名和陣地」と呼ばれていました。
全体的にきれいな状態で残っています。
かなり貴重な遺構なので是非とも保存してほしいですね!
2:現存する遺構
2020年11月現在、発掘調査が行われています。
2021年も継続調査される予定なので今後の動向が楽しみです。
今回の発掘調査の成果はこんな感じ
— またたび (@matatabi_02) October 11, 2020
・埋没砲座の位置特定
・弾薬庫と掩体
・地下配線の跡
・交通壕
・米軍の爆破処分の残骸 pic.twitter.com/sgzk233HvT
=遺構一覧=
- 砲床(6つ)
- 弾薬庫
- 地下ケーブル跡
- 便所
- 井戸
- 炊事場
- 交通壕
- 半地下式兵舎
- 指揮所跡
- 配電盤跡?
・6つの砲床
今まで1つだけ露出していた砲座基部。
実は6つとも残っていたことが判明しました。
・第1砲座:十字発掘 位置特定
・第2砲座:砲床表面露出
・第3砲座:3分の2ほど発掘
・第4砲座:砲床表面露出
・第5砲座:砲床半分露出
・第6砲座:一部露出 位置特定
砲座には九九式八糎高射砲が設置されていました。
固定用ボルトが残っている砲床もあります。
この残存率はもはや奇跡!
砲床は割と残っていることが多いのですが、当時と同じ場所で、付随施設まで残っているのはおそらくここだけかと。
第4、第5の竹砲台は当時設置されていた「九九式八糎高射砲」の図面をもとに実物大で作ったそうです。砲身、砲弾の長さなども同サイズだとか。3枚目は一般の方に向けて解説中の様子。 pic.twitter.com/k0eC7rZWyI
— またたび (@matatabi_02) 2020年10月11日
・電纜管用枡(配電用地下ケーブル)
太佐山陣地には砲座の同期機構がありました。
司令部の操作盤でぐるぐる回すことができたとか。
また太佐山陣地は他の陣地と決定的な違いがありました。台座の装置で「6門すべて」を同期させ、同じ方向に向けることができたらしいです。配電の遺構も発掘されました。 pic.twitter.com/f5BFJBvj21
— またたび (@matatabi_02) 2020年10月11日
各砲台は地下の電纜(ケーブル)でつながっていたそうですが、どのくらいの速度で回頭できたのか気になるところ。
・便所
便所も残っています。
汲み取り式だった模様。
・井戸、炊事場
砲座から離れたところに井戸と炊事場の基礎が残っています。
・交通壕
各砲台と司令部をつなぐ交通壕も残っていますが竹害が酷いです。
交通壕にはアスファルトルーフィング(厚紙にアスファルトを塗って防水加工をしたもの)という簡易的な屋根があり、上から土をかぶせて偽装していました。発掘調査では偽装に使われた資材が出土したそうです。
3:余談
砲座に同期装置があったのは太佐山のみ。
となると、
・非常用電源があったはず
・どれくらいの速度で回れたのか?
・ここ以外にも設置されていた可能性は?
・試験的に設置したのか?
・量産計画はあったのか?
・製造していたメーカーは?
など興味が尽きません。
火砲はあんまり詳しくない、というか全体的に浅く広くしか知らないので(汗)今後に向けて知識を増やすのが課題ですね。
4:参考文献
現地説明会資料(PDF)