訪問日:2020年6月
その昔、刈谷は軍需産業の一大拠点でした。
1:トヨタ車体の設立
その1:トヨタと航空産業
トヨタ自動車(トヨタ車体と区別するため、以降は「トヨタ自工」で統一)は当時から大手自動車メーカーであり、日産自動車、ヂーゼル自動車工業(現・いすゞ)、日野重工業(現・日野自動車)などと共に軍用車両を納入していました。
トヨタ自工の創業者である豊田喜一郎は航空機開発にも強い関心があったそうで、1930年代後半には
フランスから練習機を買い付けたり、川崎航空機と共同出資して東海飛行機を設立したり、拳母工場の一角に研究所を開設したり、刈谷に航空関連工場を移転集約するなど、愛知県の航空産業において重要な役割を果たしています。
刈谷の工場では軍用トラックや航空機の部品などを製造していました。
ちなみに刈谷工場から15km南西には中島飛行機の半田製作所(現・SUBARU 半田西工場)があり、海軍の天山と彩雲を生産していました。
その2:国営化の危機
1945年4月1日、政府は軍需工廠官制を公布。
これにより中島飛行機と川西航空機が事実上国営化されることになります。
刈谷に航空関連の工場が集中していたトヨタ自工も存続の危機に直面。トヨタの名前を残すため、1945年に刈谷工場のトラック部門を独立させ「トヨタ車体工業」として別会社を立ち上げます。が、すぐに敗戦となりました。
ちなみに戦前ですが「トヨタ」のカタカナ表記でした。
現在も同地にてトヨタ車体 刈谷工場として稼働中。
当時のトヨタ車体工業の敷地内には東海飛行機の社屋がありました。現在では同じ場所にトヨタ系のアドヴィックス本社があります。
現在のトヨタ車体本社は刈谷から少し離れた富士松工場の敷地内にあります。
トヨタは1943年、陸軍からハ13の生産要請を受けて刈谷に航空関連の工場を移転集約している。ハ13は東京瓦斯電気工業が開発したもので、日野やいすゞの母体となった会社。のちに日野がトヨタの子会社になるなど、自動車メーカーの変遷も面白い。トヨタの生産したハ13甲2型は主に練習機などに搭載された
— またたび (@matatabi_02) June 23, 2020
2:現存する遺構
その1:柵(?)
コンクリートの柱が数本残っています。
(クリックで拡大)
航空写真を比較すると道路などは変わっていません。
古そうなコンクリですが時期は不明。
半田や伊勢崎みたいにレンガ塀でも残ってないかなー?と期待しましたが、コンクリ柱以外にはそれっぽい物は見つけられませんでした。
現役の工場ですが遺構が残っている可能性は低そう。
アクセス
その1:周辺環境
デンソー本社、アイシン精機本社など、トヨタのグループ会社が企業城下町を形成しています。ひたすらオフィスビル、工場、駐車場がずらーっとならんでいて「ザ・工業地帯」といった感じ。
戦前のアイシン精機の社名は東海飛行機。
トヨタ自工とともに航空機のパーツを作っていました。現在は同地に本社を構え、自動車部品などを製造しています。
周辺は出荷のための自動車用大型トレーラーや納品トラックなどで交通量は多めです。
その2:交通手段
=所在地=
トヨタ車体 刈谷第1工場(の柵)
愛知県刈谷市 昭和町2丁目
工場がドン!とあるだけ。
アクセスは良好で駅から徒歩1kmほどの距離。東海道本線のJR刈谷駅と名鉄三河線の名鉄刈谷駅が隣接しており、ちょっとしたターミナル駅になっています。
遺構探索としての優先度はかなり低いですが、すぐ横にデンソーギャラリーがあるので観光ついでに寄るといいかも。
今まで刈谷駅がやたらデカいのが不思議だったんですけど、トヨタグループの本社が2つもあるんだから当然か…
というわけでトヨタ車体工業の遺構探索(?)でした。