造兵廠とか補給廠って情報少ない!わからん!
しょうがないので自分用にまとめました
手間暇かけてるからコピペ転載はやめてね
(引用元としてリンクしてくれるとうれしい)
【つかいかた】
・windows:「Ctrl+F」で単語入力
・macOS:「Cmd+F」で単語入力
キーワード検索で該当箇所にジャンプ!
例:「登戸」と入力すると登戸研究所のとこが表示される
【現在地】陸軍工廠まとめ
1:兵器廠(兵器補給廠)
兵器廠1897
陸軍大臣直隷として創設
本廠を4か所、各管区内の師団、台湾守備隊、要塞に支廠を置いた
兵器本廠1903
正式名称:陸軍兵器本廠
4つの本廠を東京にまとめる
支廠の改称、廃止など多数 1903と1908に大きく動いている
2月 丸亀陸軍兵器支廠が「善通寺陸軍兵器支廠」に改称
5月
4つの本廠を兵器本廠に統合
兵器本廠が陸軍省内に移転
東京陸軍兵器支廠が小石川に移転
元鳴門兵器支廠を閉鎖
1904 兵器本廠が麹町に移転 東京支廠が四谷に移転
1908 東京支廠が小石川に移転
兵器廠1940
正式名:陸軍兵器廠
1940までの兵器廠 + 造兵廠 = 兵器廠(1940~)
規模が大きくなったので陸軍兵器本部が新設される
このタイミングで東京に立川陸軍航空工廠ができた
改組後、名称は変わらなかったが下部組織は改称される
【命名規則】
兵器廠 ○○(地名)陸軍兵器支廠→○○(地名)陸軍兵器補給廠
工廠 陸軍造兵廠 (地名)工廠(地名)製造所(地名)分工場
例)
兵器廠1942~1945
1942年10月、陸軍兵器本部→陸軍兵器行政本部へと統合
これは兵器局、技術本部の総務部、第1、2、3部をまとめたもの
陸軍兵器学校を隷下とし、廠内の造兵廠、補給廠、技術本部内の第1~9研究所を独立させ兵器行政本部長の直属とした 本部長は陸軍大臣に隷した
ここで補給廠と造兵廠が同格になったっぽい?
陸軍大臣ー兵器行政本部長 大臣直隷になる
兵器行政本部
- 総務部ほか
- 造兵部
- 補給部
- 第1~10陸軍研究所
- 多摩陸軍研究所(登戸研究所)
造兵廠、補給廠の名称は変わらず
登戸研究所
神奈川県 川崎市 →長野、北陸、関西に疎開
今では有名だが、1980年半ばまでは一般に知られることは少なかった
登戸研究所は秘匿名。組織の性格上、正式名で呼ばれることはほとんどなかった
偽札の「杉作戦」、風船爆弾の「ふ号作戦」などが有名
明治大学生田キャンパスに資料館あり →神奈川県川崎市多摩区
疎開先の名称に表記ゆれ
陸軍兵器行政本部の記録 旧陸軍登戸研究所中沢分室
伊那地方の現地資料 中沢製造所
- 第一課 担当は物理、電気電子 風船爆弾、細菌兵器の研究開発など
- 第二課 担当は生物化学、謀略戦 秘密インキ、小型カメラ、小型爆弾など
- 第三課 担当は経済撹乱、紙類全般 偽札、偽造パスポートなどを製造
- 第四課 担当は工場の管理運営 1、2課で開発した兵器の製造した
【疎開先】
- 本部 長野県宮田村 真慶寺
- 第一課 長野県松川村(北安曇)ほかの分室とは違い研究所を新たに建設
- 第二課 長野県駒ケ根市赤穂(上伊那)中沢、東伊那、赤穂、飯島国民学校に間借り
- 第三課 福井県越前市
- 第四課 長野県駒ケ根市赤穂(上伊那)中沢国民学校に間借り
- 登戸分室 神奈川県 疎開でほとんどが移転してしまい、跡地を分室として残した模様
- 北安分室 長野県 北安曇の松川村 1課
- 中沢分室 長野県 駒ケ根の中沢村 2課と4課
- 小川分室 兵庫県小川村?
北安曇の池田町にも開発部門があったらしい
神社やお寺も分工場にしていた
2015年放送の「所さん!大変ですよ」に燃える棒が紹介される
この放送は自分も見てた。
当時はそこまで興味がなかったので「ほーん」くらいなもんだったけど
=沿革=
1919 4月、陸軍火薬研究所が改編して陸軍科学研究所が開設
1939 陸軍科学研究所 登戸出張所が設置?
1940 40年改組で…?
1941 陸軍科学研究所が廃止、登戸出張所は陸軍技術本部 第九研究所に改組?
1942 陸軍兵器行政本部が発足 第九陸軍技術研究所に編入
1943 6月、電波兵器部門を多摩陸軍技術研究所へ移管
1945 5月、登戸研究所は長野県伊那地方、福井県武生、兵庫県丹波に分散移転
立川陸軍航空工廠
陸海の航空まとめ
に移動しました
各支廠まとめ(補給廠)
各師団の補給のために創設
よって明治後期の常設師団のある土地に存在していた
戦争後期にいくつか増設している
東京陸軍兵器補給廠 北区十条?
名古屋陸軍兵器補給廠 1906開設
春日井分廠 鷹来製造所の近く?
守山分廠 1943年開設? 7.5万坪
- 大阪陸軍兵器補給廠
- 千葉陸軍兵器補給廠
- 岡山陸軍兵器補給廠
- 小倉陸軍兵器補給廠 西部軍管区に移管 1945-06
- 平壌陸軍兵器補給廠 朝鮮軍管区へ移管 1945-06
- 南満陸軍兵器補給廠(奉天)関東軍へ移管 1945-05
- 台湾陸軍兵器補給廠(台北)台湾軍管区へ移管 1945-06
- 北海道陸軍兵器補給廠
- 仙台陸軍兵器補給廠
- 長野陸軍兵器補給廠
広島陸軍兵器補給廠 広島県広島市南区
1887 大阪砲兵工廠内に広島派出所が設置
1905 広島陸軍兵器支廠に改称
1914 第1~10兵器庫が完成
1920 第11~17兵器庫の建設開始
1921 8月、爆発事故で第9兵器庫が消失
1940 改組で広島陸軍兵器補給廠に改称
1945 原爆投下により被曝
1946 広島県庁舎として利用される
1970 解体
1985 レプリカが広島大学医学部医学資料館として開設
2:造兵廠
造兵廠の歴史(1940以前)
造兵廠長官の直轄?→兵器製造所
1870 3月、大阪に兵部省直営の大阪造兵司が開設
1872 4月、陸軍省発足に伴い、大阪造兵司を大砲製造所と改称?
1875 2月、東京を「第一方面内本廠」、大阪を「第二方面内砲兵支廠」と改称?
1879 12月、東京を東京砲兵工廠、大阪に大阪砲兵工廠と改称
1923 4月、改組 国内3工廠(東名阪)+1火工廠(東京小石川)兵器製造所2(小倉、平壌)
19? 南満州が工廠として独立
1933 小倉兵器製造所→小倉工廠へ独立(支廠から昇格)
1937 曽根分工場?が開設
1940 04-01、陸軍兵器廠に統合 各工廠の名称変更
砲兵工廠1879(~1923)
東京砲兵工廠 小石川
大阪砲兵工廠 大阪城内
陸軍造兵令1923(~1940)
1923年4月、条例制定により東京と大阪の2か所が合併
国内3工廠(東京、大阪、名古屋)
+1火工廠(東京)
兵器製造所2つ(小倉、平壌)になる
1940年の統合までこの名称であった
陸軍大臣直隷
長官は陸軍中将
命名規則 陸軍造兵廠○○工廠 ○○製造所 ○○工場
- 陸軍造兵廠 東京工廠 川越製造所
- 陸軍造兵廠 大阪工廠
- 陸軍造兵廠 名古屋工廠 熱田1904、千種1906、高蔵1917、鳥居松1939、鷹来1940
- 陸軍造兵廠 東京火工廠 板橋、岩鼻、忠海、曽根、宇治
- 小倉兵器製造所
- 平壌兵器製造所
1923年9月の関東大震災により東京火工廠(小石川)が被災→小倉移転が決定
兵器廠1940~
- 東京第一
- 東京第二
- 名古屋
- 大阪
- 小倉
- 相模
- 立川陸軍航空工廠
各工廠まとめ
東京第一陸軍造兵廠(1940)
場所は現在の北区十条滝野川
赤羽線をはさんで西に板橋製造所(二造)がある
十条に第一製造所本部が北区中央公園文化センターとして残る
東京補給廠とごっちゃになってる情報もある
- 第一製造所 十条・滝野川 銃弾 レンガの建屋が現存、図書館となっている
- 第二製造所 通信機器
- 第三製造所 川越製造所 銃弾 埼玉県ふじみ野市
- 小杉製造所 富山県射水市 信管
- 大宮製造所 さいたま市 光学
- 仙台製造所 宮城県仙台市 銃弾
東京第二陸軍造兵廠(1940)
主に東京都板橋区の板橋製造所を指す 略称は二造
陸軍造兵廠火工廠の流れをくむ?
- 板橋製造所 東京都板橋区 火薬工場
- 岩鼻製造所 群馬県高崎市 火薬工場 1882年設置? 黒色火薬を製造
- 忠海製造所 広島県竹原市大久野島 芸予要塞→化学工場 1927年化学工場稼働?
- 曽根製造所 福岡県北九州市 化学工場 1937年開設 大久野島から移管 現在陸自施設
- 宇治製造所 京都府宇治市 火薬工場 1894発足
- 荒尾製造所 熊本県荒尾市 火薬?
- 坂市製造所 火薬?
- 多摩 火薬?
- 深谷 埼玉県深谷市 火薬?
- 香里 大阪府枚方市 火薬?
- 櫛挽製造所
- 東京第二造兵廠研究所
- 小倉造兵廠 1942から管轄
- 小倉補給廠 1942から管轄
宇治火薬製造所
京都府宇治市
製造工場と火薬庫で構成
現在もレンガの遺構が残る
戦争末期には昼夜二交代で工員3500ほどで稼働
宇治火薬製造所も1937年に爆発事故を起こす。宇治で生産された火薬は鉄道で大阪枚方の禁野火薬庫に運ばれて砲弾に装填された。禁野火薬庫が爆発事故を起こした1940からは祝園爆薬庫に運ばれた。
- 宇治製造所 現在は陸自の駐屯地、京大宇治キャンパスなどになっている
- 宇治火薬庫 宇治少年院、黄檗公園、京都大学グラウンドなど
1871 黄檗宗万福寺が国に接収されて宇治火薬庫が建設される
1894 日清戦争を契機に宇治火薬庫の西側の田畑に宇治火薬製造所が建設される
相模陸軍造兵廠
車両などを製造
戦後米軍に接収される
関連:相模原軍都計画 相模原市立博物館
第一製造所 戦車など
第二製造所 弾?
1938 相模兵器製造所として開設
1940 相模陸軍造兵廠に改称
名古屋陸軍造兵廠
神宮東公園には名古屋陸軍造兵廠跡碑がある
小銃関連と風船爆弾の製造がメイン
航空関連の部署もそこそこあった模様
熱田で機体、千種でエンジンをつくっていた?
1923の関東大震災で東京工廠が被災、小銃生産を小倉と分担開始
- 熱田製造所 1904、東京陸軍砲兵工廠の分工場として開設 レンガ建屋が現存
- 高蔵製造所 1917、大阪砲兵工廠 高蔵兵器製造所として開設
- 千種製造所 1920、名古屋機器製造所が開設?
- 鳥居松製造所 1939建設? 九九式短小銃 風船爆弾 現在は王子製紙の工場
- 鷹来製造所 愛知県春日井市 1941年12月に昇格 銃弾 九九式実包(7.7mm) 本部が名城大学事務棟として残存
- 立川製造所 エンジン 東京都立川市 1940に千種からエンジン部門が移管
- 楠製造所 機砲 三重県楠町の東亜紡織 楠工場へ疎開
- 柳津製造所 岐阜市柳津 1944に千種の疎開先?
- 駿河製造所 1945年6月、沼津兵器から移管
熱田製造所 1904~ 名古屋市熱田区
航空機用の機関砲や風船爆弾を製造? レンガ建屋が現存
1904 東京陸軍砲兵工廠の分工場として開設
1940 改組でエンジン部門を千種製造所に移管、その後名古屋工廠の本部が設置される?
千種製造所 1906~
跡地は千種公園 公園内にコンクリ塀と記念碑がある
三八式歩兵銃を年間4.1万丁製造
千種機器製造所と表記ゆれをみかける
1906 千種に名古屋陸軍兵器支廠ができる
1919 東京砲兵工廠 名古屋機器製造所が開設? 航空用エンジンの工場 引込線敷設?
1923 改組、陸軍造兵廠名古屋工廠 千種機器製造所?に名称変更 小銃生産開始?
1940 エンジン部門が立川に移転 小銃生産にシフト?
1945 空襲で本部に直撃弾を受け壊滅 死者74人
高蔵製造所 1917~? 名古屋市熱田区
弾丸や風船爆弾を製造
1917、大阪砲兵工廠 高蔵兵器製造所として開設
高藪というのを見かけたが高蔵の誤記?
(草冠だし、筆で書いたら潰れて見間違えるかもしれない)
一応知多半島の東浦町に緒川城(高薮城)がある。
北は三菱重工の工場(航空機完成工場)、東はトヨタの刈谷工場(発動機などを生産)、南は中島の半田工場(航空機完成工場)と一大工業地帯な上、東側には尾張と三河を隔てる河川があり、工業地帯としてはなかなかの立地であるので可能性としては十分ありそう
あくまで可能性なので、実際は不明
実地調査が済んだらまとめます
鷹来製造所 1940~
現在はパナ工場と名城大学の農場がある 本部が事務棟として現存
第7工場まであったらしい 昼夜二交代制で約5000人が働いていた
正式名の数字は漢数字
例:陸軍 鷹来製造所 第六工場 西山分工場
- 第1
- 第2
- 第3
- 第4
- 第5
- 第6 西山分工場 火薬工場のため1kmほど離れた場所にある 現在は陸自駐屯地
- 補給廠 春日井分廠 倉庫だったのは確実 引き込み線あり 情報少ない
- 篠木工場というものを見かける。第〇工場の可能性大。春日井市に篠木町という地名アリ
1940 2月、工場用地として26万坪が買収、造成と工事が始まる
1941
6月、高蔵製造所 鷹来分工場として開設
12月、鷹来製造所として独立昇格
?月、第6工場の西山分工場が設立?
柳津分工場 1944? 岐阜市柳津
風船爆弾を製造
1944 2月、千種製造所機械工場が工場疎開してできた?
駿河製造所 1945年6月~
民間工場が1945年6月に陸軍の管轄下におかれたもの
静岡市周辺には海軍の工場もあり、工業化が進んでいた模様
1939 4月、昌和洋行 沼津工場(バイク)が設立 横須賀海軍工廠の指定工場となる
1942 4月、芝浦工作機械 沼津工場が開設 7月に官民で沼津兵器株式会社を設立
1943 6月、沢田熊堂に沼津海軍工廠が開設 レーダーや無線機などの電気系を製造
1945 6月、沼津兵器から移管、名古屋陸軍造兵廠 駿河製造所となる
大阪陸軍造兵廠
- 枚方製造所 弾薬
- 白浜製造所 舟艇
- 石見製造所 薬莢
- 播磨製造所 素材
- 第一製造所 砲
- 第二製造所
- 第三製造所
- 第四製造所 素材
小倉陸軍造兵廠
福岡県北九州市
地下施設が残存 主要設備の抗堪施設、機関銃の試射場、通路など
九州への原爆投下の第1目標であった
関東大震災後は東京からの移転が進み、全国8個の中央直轄の造兵廠のうち、生産額14%(2位)、人員数19%(3位)で大阪に次ぐ大工廠であった。最盛期の1943年末には工場300棟、工員約4万が働いていた。
1894 門司兵器製造所として開設
1899 11月、小倉陸軍兵器支廠が小倉場内に開庁
1912 小倉市に移転
1916 大阪砲兵工廠 小倉兵器製造所となる
1928 東京砲兵工廠 小倉兵器製造所となる
1933 10月に小倉造兵廠として独立
1940 改組で小倉陸軍造兵廠に改称
1942 小倉補給廠と共に東京第二造兵廠の管轄となる
1944 6月16日、B-29による北九州空襲で倉庫が破壊される
1945 米軍により接収
小倉工廠内
- 第一製造所 軽戦車等の軍用車両・軍刀・風船爆弾
- 第二製造所 機関銃・小銃など 日田市に移転?
- 第三製造所 砲弾など
- 春日製造所 機砲 福岡県春日市
- 大分工場? 大分市新川
- 糸口山製造所 大分県宇佐市 1944、小倉から工場疎開
- 日田製造所 大分県日田市 小倉から工場疎開 本部が移動 地下工場あり?
- 立石製作所 大分県立石町
計画では国東町もあり
立石製作所 大分県立石町
春日製造所 福岡県春日市
1940 用地買収、建設開始
1942 稼働開始
1945 4月、大分県日田市に疎開
糸口山製作所 大分県宇佐市
前敷地 96万平米、床面積 1944:3.2万平米、1945:6.4万平米 工員 約1万
製造品目は機関砲など?
資料少ない
引込線などがあったらしい
防空壕跡が残っているとの情報をツイッターで見かける
3:被服廠と糧秣廠
兵器支廠(補給廠)の下部組織?
被服廠と糧秣廠は割とセットで見かける
情報が少ない
被服廠
被服廠の取り扱い品目は軍服、軍靴以外のすべて
マント・下着類・帽子・手袋・靴下等、背嚢・飯盒・水筒・ふとん・毛布・石鹸・鋏・小刀・軍人手帳等まで全部を管理していた
東京の陸軍被服本廠を中心に全国に支廠や出張所を配置。まず出張所を開設し、その後支廠に昇格させる、という一般的な役所の手順を踏んでいる模様。
被服廠の初期(1903)
初期は東京、大阪、広島の3か所
- 陸軍被服廠 (東京)
- 陸軍被服廠 大阪支廠
- 陸軍被服廠 広島出張所→広島支廠に昇格
戦中の大量徴兵で人員が足りなくなったのか1944年から各地に被服支廠が開設される
陸軍被服本廠 東京都北区?
大阪陸軍被服支廠 大阪府大阪市
広島陸軍被服支廠 広島県広島市
札幌陸軍被服支廠 1944年開設
東京陸軍被服支廠 埼玉県朝霞市 1945年4月、陸軍被服本廠 朝霞出張所が昇格
仙台陸軍被服支廠 1945年4月開設
名古屋陸軍被服支廠 1945年4月開設
福岡陸軍被服支廠 1945年4月開設
被服廠の歴史
1890 陸軍被服廠として本所区(現・墨田区)に開設
1891 被服倉庫を王子区(北区)に建設?
1903 東京の被服廠内に大阪支廠が開設
1904 大阪の庁舎が完成、大阪支廠が移転
1905 4月、東京の被服廠内に広島派出所が開設→8月に移転
1907 11月、広島派出所→広島陸軍被服支廠に昇格?
1908 陸軍被服廠は陸軍被服本廠、大阪支廠→大阪陸軍被服支廠へ
1919
1923 関東大震災で糧秣本廠の設備が壊滅 缶詰など一部を宇品支廠に移管
1939? 満洲に奉天陸軍被服支廠(関東軍)が設置される 満洲兵器支廠の設置が1939年なのでその時か?
1943 大谷被服支廠が設置?
1944 札幌被服支廠が開設
1945 4月に東京、仙台、名古屋、福岡に被服支廠が開設される
陸軍糧秣廠
糧秣廠の命名基準
基本的に東京が本廠
補給廠の直隷かどうかはよくわからん 1940や42の改組で昇格してるかもしれん
1897 陸軍中央糧秣廠(地名)支廠 例:陸軍中央糧秣廠 宇品支廠
1902 陸軍糧秣廠(地名)支廠 例:陸軍糧秣廠 宇品支廠
1907 (地名)陸軍糧秣支廠 例:宇品陸軍糧秣支廠
各糧秣廠まとめ
陸軍糧秣本廠 東京都?
陸軍糧秣本廠 流山出張所 千葉県流山市
大谷陸軍糧秣支廠? 栃木県宇都宮市 1943に設置?
宇品陸軍糧秣支廠 広島県広島市
命名基準(1890~1908) ?
命名基準(1908~1945) 地名+陸軍被服支廠 例:広島陸軍被服支廠
宇品陸軍糧秣支廠
現在は広島市郷土資料館として現存
牛肉缶詰製造は全国でもここだけ 1923の関東大震災で糧秣本廠の被災後、ここで生産されることになった
1896 宇品糧秣予備倉庫が存在していたが、宇品陸軍糧秣支廠と関係があるかは不明
1897 陸軍中央糧秣廠 宇品支廠として創設?
1902 陸軍糧秣廠 宇品支廠に改称
1907 宇品陸軍糧秣支廠に改称
1911 レンガ造りの缶詰工場が建設 現在の郷土資料館
広島の陸軍3支廠
1897 宇品陸軍糧秣支廠 現・郷土資料館 ニトリ近くのアレ
1905 広島陸軍被服支廠 出汐倉庫 南区のアレ 現在4棟が残存→2020年4月保存決定
1906 広島陸軍兵器支廠 現在はオブジェ 同地にレプリカ(1940年以降は広島陸軍補給廠)
引用元
参考文献
- 名古屋陸軍造兵廠史/陸軍立川航空工廠史
- 陸軍航空士官学校
- 大阪砲兵工廠
- 三菱エンジン史
- 歴史の中の中島飛行機
参考ブログ
公式サイト
更新履歴
2020-04-22 下書き作成
2020-04-27 記事公開
2020-05-12 一部を航空まとめに移動
2020-08-27 研究所ほか追加
2020-11-20 被服廠の項目を大幅拡充