情報なさすぎ(ブチギレ
海軍の空廠とか所在地すら分からん!
正式名称も怪しい
遺構探索の下調べにどうぞ
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例:「登戸」と打つと登戸研究所のとこが表示される
【現在地】日本軍の航空系まとめ
1:戦前の民間メーカー
三菱重工業 零戦、九六陸攻、一式陸攻、九七重爆、四式重爆など
中島飛行機 隼、鐘馗、疾風、呑龍、九七艦攻、天山、彩雲など 零戦(製造)
川崎航空機 九八軽爆、九九双軽、屠龍、飛燕、五式戦、研三 陸軍用DBのハ40など
愛知航空機 九九艦爆、流星、零式水偵、瑞雲、晴嵐など 海軍用DBのアツタ発動機など
川西航空機 強風、紫電、二式大艇
日立航空機 練習機、エンジン 瓦斯電から引き継ぎ
東京瓦斯電気工業→日立航空機 航研機など
立川飛行機 石川島飛行機から改称 隼(製造)、キ94など
王子航空機 キ106(木製疾風) 王子製紙江別工場(2000m滑走あり)石川島航空機
満洲飛行機 満洲航空の工場 キ116(金星疾風)
九州飛行機 渡辺鉄工所から改称 震電、主脚
萱場製作所 カ号観測機、特殊蝶番レ号、主脚用ショックアブソーバー
横井航空工業 秋水
松下飛行機 松下電器の航空機部門 木製97艦攻2号三菱型
王子航空機 王子製紙の航空機部門 木製疾風
倉敷飛行機 倉敷紡績の航空機部門 木製東海、白菊
日本国際航空機 三式指揮連絡機 現日産車体日本飛行機
前田航研工業 軍用グライダー、特三号戦車
福田軽飛行機 軍用グライダー
美津野グライダー製作所(現ミズノ) 軍用グライダー
昭和飛行機
トヨタ自動車工業 発動機、部品など
東海飛行機 現アイシン精機 トヨタと川崎航空機が共同出資して設立
日産自動車工業
日本陸軍 陸軍航空工廠 九九襲撃など
日本海軍 海軍航空技術廠(第一技術廠)、各空廠 彗星、銀河、天河、景雲、桜花、橘花など
Wikipedia:航空機メーカー
中島飛行機
日本最大の航空機メーカー。1945-08時点では三菱よりも規模がおおきかった。当時の従業員や敷地は大部分がスバルに引き継がれた。
太田製作所 群馬県太田市 現在スバルの本工場 当時の事務所が残る
工場数14、下請け140
製造ライン6 うち隼3、疾風3
伊勢崎第一工場 1942-07開設 隼と疾風の部品工場だったらしい
伊勢崎第二工場 1943-04開設 同上
前橋分工場 1939-03開設 所属は太田製作所?
呑龍工場 群馬県太田市 現在もスバル施設として残る(遊休状態)
尾島工場 太田の分工場?
桐生工場 群馬県桐生市 太田の分工場?
小泉製作所 竣工1940-04 群馬県大泉 現在スバル大泉工場
工場数19、下請け165
製造ライン6 うち零戦3、銀河3
半田製作所 愛知県半田市 戦後は輸送機工業になる
工場25、下請け260
製造ライン3 うち彩雲2、天山1
新居工場 半田制作所の東側 分工場?
宇都宮製作所 1943-08起工? 栃木県宇都宮市 半田開設時に一部移管
工場7、下請け63
製造ライン2 疾風2
大谷製作所 栃木県大谷町 工場の疎開先
下請け 宮崎航空工業 宮崎駿の父の会社
武蔵野製作所 1938-05竣工 東京都武蔵野市 1938開設 陸軍向け
多摩製作所 1941-11竣工 東京都武蔵野市 海軍向け発動機 現在は武蔵野中央公園
武蔵製作所 東京都武蔵野市 1943開設 武蔵野と多摩、両製作所を統合
→八王子市の浅川地下壕へ疎開
三鷹研究所 1941-12起工 東京都三鷹市 岩手に疎開
東京製作所? 荻窪周辺 1925-11開設 1945年4月、第一軍需工廠 第23製造廠に指定
丸子工場 下請けの別会社っぽい 誉のキャブ製造に出てくる 三菱の戦車工場の下請けだったぽい?
大宮製作所 1942-06新設? 埼玉県さいたま市
浜松製作所 静岡県浜松市 東京製作所(荻窪)と浜松製作所が富士精密工業になる
鷲津工場 静岡県湖西市
藤枝工場 静岡県藤枝市
大井工場 静岡県?
三島製作所 静岡県三島市 1943-04竣工? 海軍向け機器
亀岡工場 京都府亀岡市
宮竹工場 福岡県福岡市
特殊軽合金 一宮工場 下請け 誉用キャブレター(アルミ製)を製造していたうちの1つ
小ネタ
・中島飛行機の疎開先
群馬、半田、宇都宮、武蔵の4か所がメイン
第一軍需工廠として国営化
軍の管轄下となったあと疎開命令が下された
小泉製作所→茨城県若栗、福島県郡山、東京都静和?(東京都武蔵野市吉祥寺?)
武蔵製作所→浅川地下壕(東京都八王子市)
半田製作所→愛知県岡崎、石川県小松、長野県伊那
・半田工場
石川富山県内の9か所に分散。岡崎工場は岡崎航空基地っぽい 図録やwikiに組立ライン設営の話が出てくる
小松市遊泉寺 採石場
疎開先の佐美工場(小松)に半田から機材を搬入
半田工場開設時は群馬と栃木の工場から人員の移動があった。そのため工場内には関東出身の工員がそこそこいたらしい(工員の話より)
1942-06 半田工場建設委員会が発足
ほか岩手県の北上にも疎開?
ソース
中島飛行機物語 https://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/nakajima/naka-cont.html
・そのほか
三島 土地狭隘のため発動機工場に
静岡 ???
浜松 飛行場用地の面積足りず発動機工場に
中島航空金属 田無製造所 金属加工所? 1943-09の第三回行政査察に出てくる
・1945-08時点
機体組立工場 4
発動機工場 4
研究工場2
機関銃搭載工場 1
その他の分工場121
工員 225000人
三菱重工業
・工場名の改称
1945年2月、航空関係の工場を防諜のため番号に改称。重工以外の三菱系企業も吸収合併し巻き込んでいる。立ち上げに紡績産業の企業から借用、貸与という形のものもいくつかある。また軍需工場の秘匿コードもあるのでクッソ分かりづらい(まるで発動機の様相だなぁ!!!)
本来は漢数字だけど見づらいのでアラビア数字にしてます。
【命名規則】
改称前:三菱重工業 (地名)(製造品目)製作所(地名)工場
改称後:三菱重工業 第〇製作所(漢数字)
奇数は機体工場、偶数は発動機工場、末尾0はそのほか
・例1
三菱重工業 名古屋航空機製作所 大江工場
・例2
三菱重工業 水島航空機製作所
→三菱重工業 第七製作所(秘匿名称 オカ7000工場)
余談だけど今の三菱系企業も略称を使うことが多い
例)地名の頭文字+「製」or「船」
→三菱重工:長船(長崎造船所)、名航(名古屋航空システム)
→三菱自工:水製(水島工場)、岡製(岡崎工場)
?が付いてるとこは不確定
第1 1945-02開設 名発→1945-02長野市松本に疎開?
第2 1943-11開設 名古屋発動機研究所 愛知県名古屋
第3 1945-開設 三重県鈴鹿 1939時点施設の発展昇格?
第4 1938-04開設 名古屋発動機製作所 愛知県名古屋
第5 1945- 開設 大府航空機製作所 愛知県大府
第6 1944-06開設 静岡発動機製作所 静岡県静岡 陸軍 現三菱電機
第7 1943-09開設 水島航空機製作所 岡山県水島 オカ/神州7000工場 現 三菱自工
第8 1944-07開設 京都発動機製作所 京都府京都 現在は三菱自工
第9 1944-01開設 熊本航空機製作所 熊本県熊本
第10 1940-07開設 名古屋金属工業所 愛知県名古屋
第11 1945開設 富山県砺波 疎開工場 機体工場
第12 1945開設? 名古屋機器製作所 中村区岩塚 現在は岩塚工場→2020閉鎖売却
第13 欠番
第14 1945-01開設 京都機器製作所 京都府京都市太泰
第15 欠番
第16 1945新設 岐阜県大垣 1945-03大日本紡績から関原工場を貸与
第17 欠番
第18 福井県 1945-05新設→1945-09に第8京都に統合し閉鎖
第19 欠番
第20 広島県広島? 1945-06三菱工作機械を吸収合併、同社の広島機械製作所を第20とする
第21 欠番
第22 愛知県拳母 1945-07開設 東海飛行機から接収 現在のトヨタ元町工場付近 土橋駅から引き込み線
小ネタ、手がかり
資料では著者が名発と名航を混同しているケースが多く、工場一覧がない資料は著者自身が把握できていない可能性が大なので要注意。2021年現時点、第1~22製造所を網羅した資料は未確認。三菱重工の社史ならのってるかもしれない?
・名航系 第1,3,5,11
大江工場 南区 第5扱いの資料も散見
瑞穂工場
道徳工場 南区 日清紡から買収 レンガ積み建屋、地震で倒壊
南郊工場 買収による転用工場
針崎工場
大曽根工場 名古屋
桑名工場 三重→鈴鹿と合体?
名航関連は第1,3,5,11という情報を発見。要調査
→だいたいあってる
・名発系 第2,4,10,12
大幸工場 1937-08鐘淵紡績から用地買収、1938-07名発として独立昇格
大曽根工場 194-12富士紡績から用地買収
名古屋金属工業所 1940-07名発敷地内にて開設(バルブ開発→京都に移管?)
名発の枇杷島工場は独立したのか否か
→検索にひっかからないので名発から分離してない可能性が高い。付近には小銃を生産していた豊和工業、ちょっと南西に行くと清須飛行場(甚目寺)があり優先爆撃目標だっただろうからアメリカの公文書とかにのってるかもしれん
・第3鈴鹿
1939-12 鈴鹿に名古屋航空機製作所 附属飛行機整備工場兼格納庫を新設(社史297pより)→分工場から製作所に昇格?
・第5大府航空
大江工場 1944-01時点では第5製作所の所属らしい
大高工場 1945-03大日本紡績から貸与
大江工場は第5所属だった?
→J-stageのpdfで「第5製作所 大江工場(1944-01時点)」の記載をみかける。第5製造所大府は1941-10起工、1944-04飛行場竣工なので時期的に矛盾はなさそう(大江工場の工作機器と工員を中核として第5設立用の部署ができた、とか?)
現在跡地が豊田自動織機になってるが直接の関係はない
・第7水島航空
秘匿コード オカ第7000工場/神州第7000工場
飛行場あり 1200-85
製造品目 一式陸攻、紫電改
下請け33工場? うち広島、香川に1つずつ
現在は三菱ガスと三菱自工
1940 海軍から工場拡充の要請
1941 用地買収、起工式
1943 工場完成、操業開始
1945 1月 海軍から疎開用地下工場建設の要請、2月 防諜のため第七製作所に改称
・第8京発、第14京都機器
1945-11、第2名発、第8京発が第14京都機器へ統合される→現在の三菱自工京都になる。
1945-11 第1,3,4,5,6,9,10,11,12,16,22を閉鎖
・第11大門製作所
大門工場
井波工場
福野工場
金沢工場 呉羽紡績から買収
・貸与、協力工場など
トヨタ自動車工業
1945-07開設 東海飛行機から接収(第22製作所)
呉羽紡績(大部分が第11製作所)
金沢工場 三菱重工に売却?
井波工場 1945-04三菱重工に貸与
大門工場 1944-06呉羽航空機に売却→1944-12呉羽航空機から三菱重工に貸与
呉羽工場 1944-06呉羽航空機に売却
福野工場 1944-06呉羽航空機に売却→三菱重工に貸与? 木製飛行機工場
大日本紡績
大高工場 愛知県 三菱へ貸与→第5製作所
関原工場 岐阜県 三菱へ貸与→第16製作所
日清紡績
針崎工場/岡崎工場 愛知県岡崎 1944三菱重工へ貸与
戸崎工場/岡崎第3工場 1927帝国紡績の工場を買収 1944三菱重工へ貸与
美合工場/岡崎レイヨン工場 1944九九双軽の尾翼を製造開始
倉敷紡績
倉敷工場 岡山県倉敷 本社工場 1942三菱重工の下請け決定→1944-06万寿航空機製作所第2工場
万寿工場 岡山県倉敷 1915竣工 1942三菱重工の下請け決定→紫電改の部品工場
近江絹糸
長浜工場 1945-06三菱重工に貸与
帝国撚糸
中津川工場 航空部品を製造 三菱重工の工場が隣接
愛知時計電機
愛知時計電機(現同名) グループ本社
愛知化学工業(現アイカ工業) 1936-10設立
愛知航空機(現 愛知機械工業) 1943-02設立
艦爆、水上機の他にも陸軍向けの信管なども製造していた
川崎航空機とDB601のライセンス生産を行う
1943年に航空機部門を分社化→愛知航空機を設立
本社は現在も同名のまま同地で存在
川崎航空機工業
各務原(岐阜)工場 1937-06開所 川崎重工から川崎航空機工業として独立 1939に岐阜工場と改称
本荘分工場 1942末稼働開始? 部品製作
長良分工場 1942末稼働開始?
三里分工場 1942末稼働開始?
富士分工場 1942末稼働開始?
朝日分工場 1942末稼働開始?
一宮分工場 1942末、東洋紡 一宮工場を借用 1945-07の空襲で壊滅
忠節錬成場 従業員宿舎兼養成施設
木曽川錬成場 従業員宿舎兼養成施設
明石工場 1938開設? 滑走路あり 発動機、機体完成工場
岐阜工場 大日本紡績 岐阜工場を借り受け 岐阜市田神 機体工場
近江絹糸 中津川工場 機体工場
林間工場 蘇原村須衛、武儀郡美濃
地下工場 土岐郡瑞浪
学園作業場 疎開工場 岐阜高等女学校
各務原陸軍飛行場に隣接し製造ラインを集約していた。現在も同地で製造ライン、実験施設が稼働中。愛知県の一宮に社員寮があったらしい
立川飛行機製作所(石川島飛行機)
石川島の航空機部門
製造品目 A-26、98式直協、一式戦3型のほとんど
・工場一覧
立川製造所 1930開設
甲府製造所 1944竣工
岡山製造所 1944竣工
・沿革
1924 石川島飛行機製作所として設立
1936 立川飛行機に社名変更
1947 財閥解体 東京電気自動車として法人化
1949 たま電気自動車に社名変更
1951 たま自動車に社名変更
1952 プリンス自動車工業に社名変更
1966 日産自動車に吸収合併
日立航空機(東京瓦斯電気工業)
日産コンツェルン(鮎川財閥)の航空機部門
立川工場 東京都大和市 瓦斯電からの引継 エンジン工場 同社最大の工場
大森工場 東京都大田区 瓦斯電からの引継 エンジン工場→部品工場
羽田工場 東京都大田区 瓦斯電からの引継 機体製造→部品工場
千葉工場 千葉県千葉市 組立完成工場? 1942年から操業開始
川崎鋳造所 クランクケースなどの鋳造部品を製造
1939年3月、東京瓦斯電気工業が日立に経営権譲渡
航空機部門を中心に設立
主に練習機や小型エンジンを製造
国内に5か所、約3.4万人の従業員が在籍
立川工場が武蔵村山市に疎開している
=沿革=
1939 東京瓦斯電気工業が日立製作所に経営権を譲渡
1942 千葉工場稼働開始
松下電器産業(松下飛行機)
現在のパナソニック。
製造品目 木製プロペラ、木製九七艦攻、艦内配電盤、海軍工廠の配線用鋼管、ほか電子機器など
民間工場まとめに移動しました
横井航空工業
秋水を製造
三菱以外で完成させた唯一の会社
wikipedia
東京飛行機製作所(倉敷飛行機)
調布飛行場と隣接。立川、中島系だったが倉敷紡績の傘下になる。
1943-12 倉敷紡績が資本参加
1944-10 倉敷飛行機に改称
1945-04 中島の国営化に伴い調布工場が第一軍需廠 三鷹製作所の分工場となる
倉紡系なので民間まとめにて
王子航空機(王子製紙)
北海道江別市
愛国 第101工場
滑走路 計2本 2000-200 1400-50
工場までの誘導路もあった
陸軍の要請で木製疾風を製造
→博物館に残る
レンガの遺構残る
最寄り駅には専用引き込み線があった
現在も工場として現役稼働
部品メーカーなど
・メーカー一覧
正田飛行機製作所 機関大佐の正田十吉が立ち上げ 中島の下請け
宮田製作所 主脚
岡本工業 主脚
日東航空機器 川崎にラジエーターを納品
大宮航空工業 部品?
特殊軽合金
稲沢工場 (現 日本軽金属 稲沢工場)
一宮工場 大日本紡績からの転用工場 キャブレター
揖斐川電気工業系列らしい 誉用キャブレター(アルミ製)を製造していた下請けで1番数が多かった
宮崎航空興学 中島の下請け 方向舵などを製造 宮崎駿の実家
宮崎航空機製作所 子会社
富野監督の実家 航空与圧服を製造
住友金属 住友系 ジュラルミン製造
古河電工 古河系 機内配線
中島航空金属 航空機用素材 中島の子会社?
日本楽器製造(現ヤマハ) プロペラ、ピストン
三島航機製作所(現 丸善工業) 中島の下請け 現在は電動工具
東海精機重工業(現同名) 中島、トヨタの下請け 本田宗一郎→トヨタ買収
大同製鋼 航空機用素材
日本特殊鋼 航空機用素材
日本鍛工 航空機用素材
東京鍛工 航空機用素材
(現 太平洋工業) 航空機用リベット、自動車用タイヤバルブ
櫻ゴム工業 発動機と燃料タンクにつなぐゴム製ホース
昭和精機工業(現同名) 三菱重工の発動機部品、住友金属のプロペラ部品などを製造
昭和航空精機(現ショーワ)
飛燕のエアクリーナーはヘチマを使っていたらしい(詳細不明)
・トヨタグループ
主な製造拠点は刈谷
関連
東海飛行機 子会社
三菱重工業
衣ヶ原飛行場 三菱に移管譲渡→第22製作所
車両系メーカーなので民間工場まとめに移動しました
・宮崎航空興学(宮崎航空機製作所)
ジブリ監督、宮崎駿の実家
航空機の方向舵などを製造。国内にたくさんあった中規模下請けっぽい。栃木県なので中島零戦むけの模様だが空襲で壊滅したらしい。
宮崎航空興学
宮崎航空機製作所
鹿沼工場
宇都宮工場
東京工場?
この記事がオススメ。「エンジンから油がぼとぼと」というのは実話とみてよさそう。昔の車やバイクはピストンやシリンダの精度が低くて密閉できずにオイルが漏れるのはよくあることだった。今では考えられないケドね。
同様にガンダムの富野監督の父も航空用与圧服の研究開発をやっていたとか。岐阜あたりにあった三菱の航空服工場とも関係あるかもしれない(要調査)
・岡本工業(岡本航空機工業)
本社工場 名古屋
笠寺工場 名古屋 岡本航空機工業
重井工場 岐阜県 1921開設 自転車
大垣工場 岐阜県 1935開設
一宮工場 愛知県 1939同業を買収し自社工場に
人吉工場 熊本県 1939開設
新発田工場 新潟県 1940開設
犬山工場 愛知県 1943開設 秘匿工場
=沿革=
1935 岡本工業に改称
1937 岡本航空機工業を設立 名古屋市南区笠寺工場
1941 岡本工業は岡本航空機工業に吸収合併される
1943 愛知県犬山市善師野に秘匿工場を建設する。逓信院指定工場
1945 空襲で本社工場、笠寺工場、重井工場以外を閉鎖
1946 岡本ノーリツ自転車に改称
1955 労働争議で工場を整理する
1971 ノーリツ自転車に改称
1972 トヨタと提携
1983 廃業 資産等トヨタに譲渡?
陸軍用自転車、バイク、航空機足回りシェア50%ほど。ノーリツ号(能率号)などが有名 陸海軍の指定工場になっていた。1942年時点で国内7ヶ所、工員3万人いたらしい。金属加工つながりで航空機主脚を製造&納入。陸軍銀輪部隊への納品もしてたかも?
名古屋空襲で壊滅。戦後は自転車/バイクメーカーとして再出発するも業績不振によりトヨタ系の企業に買収されたらしい。国産自転車の歴史に詳しい人なら知ってるかも?
3:陸軍の航空工廠ほか
・日本陸軍の航空政策
航空工廠、民間メーカー:製造や研究開発を担当
航空廠(内地):飛行場に隣接。修理や補給などを担当
野戦航空 修理廠:前線での修理を担当?
野戦航空 補給廠:前線での補給を担当?
1920 陸軍航空部 補給部が
1925 勅令149号「陸軍航空本部令」により陸軍航空本部に昇格 製造が目的から外れる
1928 技術部が所沢から立川に移転
1933 補給部所沢支部が立川に移転
1935 勅令により技術部→陸軍航空技術研究所、補給部→陸軍航空廠に独立昇格
勅令223号「陸軍航空廠令」
・立川陸軍航空工廠
名前の似ている「立川陸軍航空廠」とは別物
こっちは製造や研究開発がメイン
立川飛行場や民間メーカー工場が隣接し、航空産業の一大拠点であった
空襲激化で山梨に疎開
・関連
立川飛行場
立川陸軍航空廠
立川飛行機
昭和飛行機
日立航空機
・沿革
1922 帝都防空構想の拠点として立川飛行場が開設
1928 陸軍技術研究所が所沢から移駐
1931 東京飛行場(今の羽田空港)が完成 民間航空会社が羽田に移動
1935
1938 陸軍航空技術研究所が設立
1940 名古屋陸軍造兵廠の各工場から航空機部門を集約移転
1944 石川県金沢市に工場疎開
1945 立川空襲で壊滅的被害 戦後は米軍に接収される
1955 砂川事件
1972 陸上自衛隊 東部方面 航空本部が移駐
1977 全面返還
アジ歴:勅令207号「陸軍航空工廠令」
長野県と岐阜県の間にある乗鞍岳の標高約3000mのところに、陸軍の航空エンジン研究所があったらしい
・陸軍航空廠
命名規則 (地名)+陸軍航空廠
立川陸軍航空廠
各務原陸軍航空廠
東京 立川陸軍航空廠
こちらは補修整備がメイン
立川飛行場に隣接し全国に分廠があった
航空工廠とは別物。名前が似ていて紛らわしい
立川分廠 東京都立川市
調布分廠 東京都調布市
柏分廠 千葉県柏市
岐阜 各務原陸軍航空廠
各務原陸軍飛行場に隣接
分廠多数
浜松 静岡 1939開設
八日市 滋賀 1939開設 →1941年、大阪支廠(大阪航空廠)に移管
加古川 兵庫 1939開設 →同上
亀山 三重 1944開設
小牧 愛知 1944開設
屏東支廠? 台湾→屏東航空廠に昇格
大阪 大阪陸軍航空廠
調査中
福岡 大刀洗陸軍航空廠
福岡県 大刀洗市・朝倉市
大刀洗陸軍飛行場に隣接
地名は「太刀洗」ではなく「大刀洗」
これは明治期に地名登記をミスったため
現在は平和祈念館が残る
朝鮮 平壌陸軍航空廠
調査中
満洲 南満航空廠?
調査中
台湾 屏東航空廠
調査中
フィリピン マニラ陸軍航空廠
正式名は馬尼刺(マニラ)陸軍航空廠
所属部隊は威15311。
第22野戦航空補給廠(風9325)と、垣兵団(第16師団)が統合。マニラ
陸軍航空廠となる。
1944 2月、第一・第二修理廠、第一・第二補給廠に分離
1944 7月、南方軍隷下の第4航空軍所属となる
・ほか
前線では野戦航空廠なるものがあったよう
修理や補給などを担当?
野戦航空廠 那覇分廠
4:海軍の航空工廠ほか
・海軍の航空政策
1912 横須賀海軍工廠の一部門にて外国機のライセンス生産を開始
1919 生産を民間、修理を海軍で行う方針を決定 目的は民間工場の負担軽減
1919大正8年 海軍技術廠令改正
・空技廠:海軍航空技術廠・第一技術廠
所在地は横須賀
1932海軍航空廠
→1940海軍航空技術廠
→1945第一技術廠
横須賀鎮守府の管轄下で山本五十六が開設。技術研究もやっていたが、実用機の設計生産が主だった
製造機 彗星、銀河、桜花、橘花
1932 4月、海軍追浜飛行場に隣接して海軍航空廠が開設
1938 3月、修理補給用の海軍航空廠?を開設
1940 名称混同をさけるため、海軍航空技術廠に改称
1941 9月、海軍航空廠令が制定 5個航空廠と 隣接地と支廠を増設
1943 空襲対策で地下壕の建設開始
1945 2月、第一海軍技術廠に改称、支廠が第二技術廠に改組
1932 勅令28号「海軍航空廠令」により「海軍航空廠」を開設 横須賀に航空関係施設を集約する
1940 勅令70号により「海軍航空廠」は改組し、「海軍航空技術廠」となる
1941 敷地内に支廠を設置
1945 「第一技術廠」に改編、支廠は電波本部と統合され「第二技術廠」に昇格
アジ歴:勅令28号 海軍航空廠令
疎開先 三沢飛行場
ソース 技術者たちの敗戦
・海軍航空廠まとめ
飛行場に付随した簡易工場だった模様→1919の政策方針にて
設立時の1941年9月では鎮守府または要港部に属し、航空兵器の製造修理などを担当
その後航空隊の拡充に伴って巨大化。
海軍工廠からの移管で大規模な製造工場をもつ空廠も出てくる
→呉市広の11空廠、長崎県大村の21空廠など
命名規則
【例】
第六十一海軍航空廠
第十一海軍航空廠 岩国支廠
南東方面海軍航空廠 サイパン分工場(アジ歴より)
第○○海軍航空廠 番号は漢数字で十が入る
略称は第○空廠など(→第21空廠)
支廠なのか、分廠なのか、分工場なのか問題
→たぶん○○支廠 ○○分工場(いくつかの資料で確認)
岡崎航空基地は
第1~20航空廠
第1 茨城県土浦市 霞ヶ浦の一帯 霞ヶ浦飛行場、霞ヶ浦/土浦航空隊が隣接
第2 千葉県木更津 海軍航空廠のなかでは最大規模 多くの支廠をもつ
第3
第4
第5
第6
第7
第8
第9
第10
第11 広島県呉市広
第12 大分県大分
第13
第14
第15
第16
第17
第18
第19
第20
第20~40航空廠
第21 長崎県大村 1941年完成 1944年10月の空襲で壊滅
第22 鹿児島県鹿屋 第五航空艦隊司令部
第23
第24
第25
第26
第27
第28
第29
第30
第31 京都府宮津市 元第11空廠支廠→1942年、第31海軍航空廠となる
第32 鳥取県境港市? 美保海軍航空基地に隣接
第33
第34
第35
第36
第37
第38
第39
第40
第41~60航空廠
第41 青森県→北海道 1942年に第2空廠支廠から昇格 →1944北海道千歳に移転
第42
第43
第44
第45
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第49
第50
第51
第52
第53
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第60
第61~80航空廠
第61 台湾 高雄
第62
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第70
第71
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第73
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第80
第81~100航空廠
第81
第82
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第90
第91
第92
第93
第94
第95
第96
第97
第98
第99
第100
第101~120航空廠
第101
第102
第103
第104
第105 存在を確認
第106
第107
第108 ラバウル航空廠
第109
第110
第111
第112
第113
第114
第115
第116
第117
第118
第119
第120
空廠の統廃合・支廠一覧
・第1航空廠 茨城県霞ヶ浦
隣接して土浦航空隊、霞ヶ浦航空隊があった
・第2航空廠 千葉県木更津
大湊支廠 青森 →1942年、第41空廠に昇格
鈴鹿支廠
岡崎補給工場 第2空廠 鈴鹿支廠 岡崎補給工場?
補給工場 香取、厚木、瀬谷、平塚、大井、豊橋、硫黄島など、航空基地内に設営?
館山補給工場 千葉 1941年10月開設 館山海軍航空基地に隣接 地下工場あり
本部は千葉県木更津
海軍の内地最大の航空廠であった模様
第三航空艦隊の本拠地が隣接
・第11航空廠 広島県呉市広
舞鶴支廠 京都 →1942年、第31空廠に昇格
岩国支廠 山口 11空廠の疎開先 1945年1月から地下工場
大分支廠? →その後12空廠?
詫間補給工場 香川県 詫間海軍水上機基地に隣接
徳島補給工場 徳島県松茂町
・第21航空廠 長崎県大村
鹿屋支廠 鹿児島 →1944年、第22空廠に昇格
鎮海分廠 →1942年、第51空廠に昇格
日宇分工廠 佐世保
長崎県大村市
敷地面積210万平米、工員5万人、という一大工廠
付近には陸軍の工廠もあり、大規模な工業都市であった
1941 佐世保工廠から独立昇格、第21空廠となる
1944 10月、空襲で壊滅
・第22航空廠 鹿屋
第五航空艦隊司令部あり。旧鹿屋海軍航空基地。
第21空廠大村 元直轄
人吉分工場 疎開工場 熊本県球磨郡錦町野間
出水分工場 疎開工場
製造品目 零戦、天山、銀河、桜花
1941-10 第21海軍航空廠 鹿屋支廠として開設(海軍航空廠令)
1944-04 第22空廠に昇格
1944-11 疎開開始
・第41航空廠 青森県大湊氏市→北海道千歳市
第2空廠大湊支廠 1942年に第41航廠に昇格
→北海道千歳に支廠、1944移転
・第61航空廠 (台湾高雄)
詳細不明
・南東方面海軍航空廠
本部はサイパン?
略称は南東空廠
サイパン分工場 名称確認済み
大宮島分工場 グアム
・南西方面海軍航空廠
パラオ分工場
・不明な補給工場
どこ管轄かいまいちわからん
横須賀・木更津・館山
河和(知多半島)平塚・厚木
瀬谷(横須賀?)・豊橋・大井
5:航空基地
海軍 1945整備計画
本土決戦に備え、海軍航空本部は60か所の航空基地拡充を決定。秘匿名は牧場
関東
茨城 霞ヶ浦飛行場
調査中
東海・北陸・甲信
愛知県
海軍 明治航空基地
海軍 岡崎航空基地
海軍 伊保原飛行場 豊田市 愛知時計電機→海軍
三菱 衣が原飛行場 豊田市 東海飛行機→三菱重工
海軍 豊橋航空基地 豊橋市 国内唯一の海上飛行場 6本の滑走路あり
岐阜 陸軍 各務原陸軍飛行場
各務原航空廠、三菱や川崎の工場などが隣接
25mプールが残る
調査中
中国・四国
鳥取 美保海軍航空基地
鳥取県境港市
九州・沖縄
長崎 大村飛行場
台湾・朝鮮・外地ほか
朝鮮 陸軍 金浦飛行場
更新履歴
2020-05-12 まとめ記事作成
2020-05-13 公開
2020-05-16 海軍の空廠と民間メーカー国営化を追記
2020-06-25 自動車メーカーの項目を追加
2020-09-20 飛行場の項目を追記
2020-10-23 王子航空機の項目を追加
2020-10-27 三菱を拡充 →改称工場を民間まとめに移動
2020-12-30 岡本工業の項目を追加
2021-01-01 中島工場一覧を拡充 川崎航空、丸善工業を追加
2021-01-10 松下航空工業を追加 →民間まとめに移動
2021-05-08 工場国営化の項目を民間まとめに移動
2021-05-19 中島飛行機のマップを追加
2021-07-04 宮崎航空興学(宮崎航空機製作所)を追加
2021-07-23 三菱の航空機工場をこっちに戻す
2021-08-03 海軍空廠を整理、倉敷飛行機を追加
2021-08-04 美津野グライダー製作所を追加
2021-08-07 三菱重工の協力工場を追加